how's it goin' ?

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大ドジの巻(続き)

arakawa_032.jpg

やっかいな左手の小指

肩甲骨と左手の骨の粉砕をやらかしてから、2週間が経過しました。相変わらず、三角巾+バストバンドと添木+包帯の重装備で両手不如意な状態ですが、こっそり三角巾を外して書いています。^^;

前回書いたとおり、3つに割れた右の肩甲骨は手術せずにそのまま固定します。(こういうのを "保存的療法" と呼ぶのですね。) 同様に、左手も手術しません。手術せずに固定するということは、基本的に骨は骨折したときの形のまま、つまり変形したまま固まるということを意味します。(少なくとも私が掛かっている整形外科では、手術以外の手段で骨の位置を元に戻すことはしませんので。)

担当医師の話を信じるなら、骨折した形のままでも、肩甲骨には機能上ほぼ何の影響もありません。しかし実は、左手は若干ながら、形状の変化が機能にも影響を与えます。

骨折直後の左手のレントゲン写真です。どこを骨折しているのか、一見して分かりにくいと思います。

D0000254.jpg


骨折している箇所を丸で囲みました。

fracture_000.jpg

2枚目のほうは1週間後ですが、変形の様子は全く変わっていないように見えます。小指の根元の骨(=第5中手骨)、関節から少し離れた箇所(=頸部)が、内向きに折れ曲がって(=転位して)います。また、写真は平面なので分かりませんが、垂直方向にも手のひらの方向に曲がっています。

中手骨頸部骨折。通称「ボクサー骨折」。手を握った状態で軸方向に強い外圧が掛かると、ここを骨折しやすいのだそうです。

こんなことが書かれた文献を見つけました。

日常診療において手の外傷は多く、それゆえ安易に扱われやすい。しかし、その治療結果は必ずしも良くなく、拘縮や変形治癒のために重大な機能障害を残す患者も多数存在する。

(引用元:「手指骨折の治療」 担当 相木比古乃、土田芳彦



「拘縮」とは関節可動域が狭まること、「変形治癒」は言葉どおり変形したまま治癒することです。

中手骨頸部骨折の場合、第4(薬指)、第5(小指)中手骨は特に、指を伸ばす筋肉の力よりも指を曲げる筋肉の力が強く、そのため手のひらの方向、つまり内側に向かって曲がる傾向があるそうです。その結果、次のような症状を招きます。

・回旋転位と短縮転位(回旋転位はオーバーラッピングフィンガーとなる)

オーバーラッピングフィンガーとは、指を曲げたときに本来とは異なる方向に曲がり、隣の指と重なることです。第5中手骨の場合、小指が変形して薬指の方向へ曲がります。

私の左手を、右手と比べてみました。(あまりうまく写ってませんが、もう片方の手でカメラを保持しての困難な撮影ですので、ご容赦のほどを。)

hands_001.jpg

左手は大きな内出血の跡があって、全体に血色も悪いです。^^; 問題の小指が、右に比べて左は薬指に掛かり気味なのが、お分かりでしょうか。

見た目でさほど顕著ではありませんが、自分では通常なら当たらないはずの小指の爪が薬指の腹に当たり、妙な違和感があります。また、PCのキーボードを叩くとホームポジションが狂い、Ctrl+Vを押したつもりがCtrl+Cに、Ctrl+CのつもりがCtrl+Xになるので、小指の位置がずれて他の指との距離がおかしくなっていることが分かります。

上の写真に線を引いてみます。この程度の狂いです。

hands_002.jpg

どうでしょうか? PCなら慣れれば問題は無さそうですが、指先の位置や向きにデリケートな場合、例えばピアノやヴァイオリンの演奏だとかなり問題になる気がします。

他には、こんな症状があります。

・背側凸変形
・手を握ると骨頭の隆起消失

私の両手です。

hands_004.jpg

左手には腫れが残っていてちゃんと握れていないせいもあると思いますが、右手のように小指の関節がくっきりと飛び出さず、丸みを帯びて見えますね。見た目の問題ですが、右手に比べるとかっこ悪いです。

これらを改善するには、どうすればいいのか。上の文献の続きです。・・・

手の外傷治療には、このような機能障害を最小限度に抑えるための原則が存在する。

第一に、解剖学的整復を獲得すること。解剖学的整復が得られれば、機能はそれについてくるものである。多少の変形の許容はあるが、著しい角状変形、回旋変形、短縮、筋腱のアンバランスは手の機能を著しく低下させる。しかし場合によっては骨折の不完全な解剖学的肢位を容認し、適切なスプリントと早期運動によって手指全体の機能改善を目指したほうが良い場合もある。

第二に早期運動に耐えられる固定方法を選択することである。早期運動ができない固定方法は不適切である。手指骨折において長期間(3週間以上)の固定は不要であるばかりでなく、治療しがたい関節拘縮を惹起する。また骨折に伴う軟部損傷程度が強いと、数日から1 週間の固定でも、不可逆的な拘縮をきたすことがある。早期運動療法は手の外傷治療の大原則である。

第三に軟部組織損傷を最小限にとどめることである。すでに一次外傷によって軟部組織は相当の傷害を受けている。軟部組織損傷は関節拘縮、腱癒着の最大の要因である。手術によって新たな損傷を加えてはいけない。例えば、早期運動に耐えられる固定法がplate 固定であったとしても、加えられる手術侵襲は症例によっては過大かもしれない。全ての治療法選択は、個々の症例の最終機能を見据えた上でのバランスによって成り立っている。

(引用元:「手指骨折の治療」 担当 相木比古乃、土田芳彦



つまり、まずはできるだけ形を元に戻し、あまり間をおかずにリハビリを行うことが大切で、手術では軟部組織の損傷を最小限にしろ、ってことですね。

別の箇所を引用します。・・・

4.中手骨頚部骨折の治療方法

軸圧によって起こる骨折として中手骨頚部骨折がある(boxer fracture)。第5中手骨が最も多く、次に第4 中手骨が多い。屈曲変形は第2・3 中手骨では15°まで許容される。第4.5 中手骨はCM関節で代償されるので許容範囲が大きく、第4で30°、第5で45°とも言われている。第4中手骨頚部骨折の掌屈変形50°以上、第5中手骨の70°以上の変形でも、痛みや機能障害は残さないが、外観上の変形は著明である。しかし転位の許容範囲は大きいものの、やはり初期治療として可能ならば整復を試みるのがよい。

(引用元:「手指骨折の治療」 担当 相木比古乃、土田芳彦



CM関節とは、中手骨の付け根(手首に近い側)のことです。第2(人差指)、第3(中指)はCM関節が動かないので影響が大きいが、第4(薬指)、第5(小指)は中手骨自体を多少動かすことができる。そこで中手骨に変形があっても多少はカバーできるということですね。

ただし「転位の許容範囲は大きい」けれど「やはり初期治療として可能ならば整復を試みるのがよい」わけです。「整復」とは、骨折した箇所を元の正常な位置に戻すことです。

私の場合は・・・何もやってません。^^;

整形外科で整復する場合は、もっぱら手術という手段を用います。手術か放置かの二者択一です。そして私の担当医は「微妙なところだけど、よほど気になるのでなければ手術は不要」と断言します。つまり、骨折による指の曲がりは「CM関節で代償される許容範囲」にあると判断しているのです。

もし柔道整復師(=いわゆる接骨院の先生)なら、手技を使って整復を試みるでしょう。実際にネットで事例を探ると、整形外科よりもむしろ、こうした骨折の整復を扱った柔道整復師のサイトのほうが多く見つかります。ただ骨折後10日を過ぎるとすでに癒合が始まっているはずですから、私の場合、こうした整復を行うには遅いかもしれません。

ちなみに、柔道整復師による整復について担当医の考えを尋ねてみたところ、懐疑的な言葉ばかりが飛び出してきました。はっきり言って柔道整復師はまともな治療行為の担い手でなくむしろ反医療的だ、そんな姿勢さえ伺える態度でした。柔道整復師と補完的に協力し合ってベストな治療法を探るという医師の話もあるだけに、この反応はちょっと残念。しかし一般には、柔道整復師を敵視する整形外科医が多いとも聞きます。

まあたしかに、骨折に対して的確な整復が行えるスキルを持った柔道整復師は、そう多くないのかもしれません。さしあたり、スキルと経験を持った整復師を私が知らず、短期間で探すための有効な手段も持ち合わせていないということが問題ですね。

もちろん手術するという選択肢もありますが、それはそれで大きな負担とリスクを伴うことが分かっているので、なかなか踏み切れません。もうタイムリミットなのですが。

hands_005.jpg

うーむ。だめだ、こりゃ!

微妙に向きが曲がった、左手の小指。・・・どうなることやら。



スポンサーサイト

大ドジの巻

荒川の空

コケて肩甲骨を破壊する

足底腱膜炎がやや緩和し、それに伴って腸脛靭帯炎気味だった左膝もようやく落ち着いてきたようです。炎症を引き起こさないためには、バランスの取れたフォームと、筋力の維持が大切とのこと。そこで陸上トラックを使ったインターバルなどのポイント練習を取り入れてみたり、少し真面目にトレーニングを始めることにしました。

そんな矢先のできことです。

大雪の月曜日から1週間を経て、先週末はそこそこお天気に恵まれました。その練習日和を、私は土日ともべったり出勤して潰してしまいました。忙しくて出勤しているのですから、当然帰りもそれなりに遅くなります。そんなわけで走る時間は全く取れず、ちょっぴりフラストレーションが溜まっていました。

明けて月曜は夜8時と、かなり早めに帰宅。その夜は天気が崩れて雨か雪になるとの予報でしたが、ネットで調べると、まだようやく名古屋以西が雨雲に覆われている状況です。これなら関東は2時間は持つだろうと判断し、すぐに着替えて荒川河川敷へ向かいました。

さくっと走ってすぐに戻るつもりだったので10km+αのコースを選び、レースペースよりも少し速めのペースで急ぎます。

kouhoku_bridge.jpg

江北橋を右岸へと渡り、再び河川敷へ降りるために右折したところで、前方から近づいてくるママチャリに気付きました。若い男性のようですが、無灯火で、ケータイに目を落としたままフラフラと寄ってきます。このまま行くと正面衝突しそうですが、相手は気付く気配が全くありません。やむなく、いつもより手前からスロープに入ろうとポールとポールの間をすり抜けた瞬間、足をすくわれました。

気付くとほぼ仰向けの状態で、冷たいアスファルトに横たわっていました。足元の方向を見やると、3mぐらい向こうの何本かのポールの間から、チェーン越しに夜空が見えます。そうか、自分はチェーンに突っ込んだのか! ママチャリの姿は見えません。

両手がズキズキします。身体を起こそうとすると、背中に激痛が走ります。起こした身体を戻すと、また激痛。10分か15分ほどの間だったか、悶えながら様子を見ましたが、ちっともラクになりません。その間、ランナーが2人と自転車が1台、私のすぐそばを通り過ぎて行きました。しかし誰も、こちらには目もくれません。

助けを求めたいわけではなかったのですが、一声掛けてくれないかなと実は思っていました。こんな状況に陥って、誰かに相談したかったのかもしれません。しかし痛みでまともに声が出ず、行き過ぎる人の影をただ見送るほかはありませんでした。きっと、ヘタレが疲れて横たわっていると思ったのでしょう。もちろん「疲れて」以外は正しいのですが。

かなり時間が経ってから、力を振り絞って何とか自力で起き上がりました。幸い頭部や脚は、打撲した感覚はあるものの、動かしただけで痛むということは無さそうです。両手はズキズキしています。またそれとは別に、右の背中と腕の付け根が酷く痛むことが分かりました。腕をどちらの方向に少し動かしただけでも、また力を入れずに腕をだらりとぶら下げても、どうやっても痛いのです。つい先ほどまで考えてもいなかったことですが、立ち上がってもこれだけ痛いとなると、ランの続きは断念せざるを得ません。だとすると、ここからどうすれば・・・?

自宅まで約7km。短時間のランなので、自宅の鍵と最低限の小銭以外、何も持っていません。ケータイも無く、誰かに連絡することもできません。もっとも連絡しようにも、家人は旅行で不在中。帰ってくるのは4日後です。近くに知人もいません。あたりは真っ暗だし、天候の悪化を考えると、ここでじっとしているわけにも行きません。参ったなぁ。

日暮里舎人ライナーの扇大橋駅が近いといえば近いですけど、ルートが回り道で無駄に時間と費用ばかり掛かります。その他には近くに鉄道駅が無いことも分かっています。意を決して、徒歩で自宅方面を目指すことにしました。その間に痛みが和らげば、それでよし。ゆっくり湯船にでも浸かってマッサージをすれば、そのうち治るでしょう。もし引かないようなら念のため、救急病院の扉を叩こうかな。

右手を左手で支えて身体に沿わせるように保持するのが一番ラクだったので、その姿勢で赤羽に近い新荒川大橋まで歩きました。走れば訳も無いところを、痛む腕を抱えて歩く、その距離のなんと遠いことか! なんでチェーンに気付かなかったのだろうとか、なんであれほど早く自転車を避けたのだろうとか、くそー!転倒さえしなければ今頃は風呂でのんびりしてるとか、しょうもない考えばかりが、今さらのように頭の片隅をよぎります。

こうして1時間半以上が経過。荒川大橋に着いても痛みは引かず、むしろ酷くなっているように思われました。観念して向きを変え、駅から少し離れたところにある総合病院へと向かいます。しかしたどり着いて事情を説明すると、今夜は泌尿器科の医者しか居ないとのこと。ルールで他の病院を紹介することも一切できないから自分で探してくださいと、取り付く島もありません。ケータイも、メモする紙やペンも無く、電話しながらメモできる腕の力さえも無いのに、どうやって探せと? ついに力尽きてタクシーを拾い、自宅へ戻ります。きっと打撲しただけだ、もう寝よう・・・と一瞬思ったけれど、念のために、頑張って他の病院を探しました。

不思議なほど小刻みの呼吸しかできず、ぶるぶると奇妙なほど大きく震える指先がキーボードの上を彷徨って止まりません。Webで幾つか見つけて電話で当たった結果、当直は整形外科医ではないが外科医なので検査と初期処置ならできると言われ、降り始めた雨の中を出向いたのは、先ほどタクシーを拾った場所のすぐそばの病院。傘を持つのさえ辛いのに、意味も無く往復したとは! ガックリ気落ちしながらも、こんな夜中に対応してもらえることに感謝しつつ、診察を受けました。

単なる打撲と期待していたのですが・・・残念ながら、折れてました。

レントゲンを数枚取ったところで、放射線技師が電話で医師となにやら相談。ややあって「CTスキャン取りましょう」と言われ、終わって「分かりやすいように3Dイメージを作りましたよ(^^)」と言われて見せられたのが、この画像です。

D0000232.jpg

これがぐりぐり回転するのだから、たしかに、分かりやすい。^^; 肩甲骨がパックリと割れている様子が、それはもう、手に取るように分かりますとも! 上下だけでなく左右にも、見事に割れているじゃないですか。というか、繋がっている部分のほうが少なくて、もう少し割れたら空中分解しそうなくらい。空中じゃないですけど。「これで、どうして救急車を呼ばないの!」と言われても、ねぇ・・・。そのときは3D画像を見てたわけじゃないし、自力で歩けたのですから。

「実はねぇ、問題はコレだけじゃなくて・・・」。そうですか。まだ他にもあるんですね。はいわかりました、もう諦めてますから。で、なんですか問題って?

「左の小指も痛くないですか? この根元の腫れてる部分ですね。ここも折れてます。」

D0000254.jpg


右腕は三角巾と幅30cmぐらいのバンドでぐるぐる巻きに身体に固定され、左手は小指に添え木(と言ってもアルミとウレタンだけど)を当てて包帯でやはりぐるぐる巻きに。何かこれ以上悪いことをしたいと思っても、もう右も左も手が出ない状態です。というか、これじゃ風呂どころの騒ぎじゃない、どうやって着替えや独り宴会をしたものだか・・・。風呂も飲酒も止められましたけどね。

明日は大事な打ち合わせなのに参ったなぁ、という考えを見透かすかのように「明日は仕事行っちゃだめですからね!」と念を押され、「一番強い痛み止めを出しておくけど、吐き気がしたら救急車を呼んでください。紹介状を書くから、オペや入院に対応できる病院を探して、朝になったら、できるだけ早く診てもらいなさい。」とのご託宣。

自宅に戻ったら、すでに1時半を廻っていました。何をする気力も無く、着替えも諦めてそのまま横になります。ところが、どちらを向いても酷い痛みに襲われることが分かり、仕方なく椅子に座ったまま一晩を過ごしました。両手も、相変わらずズキズキします。ネットで何か調べようにも、利き腕の右手はブロックされたままだし、左手もまともに使えません。

それでも驚異の激遅1本指タッチ(?)で、処置してくれそうな病院をリストアップ。いちばんアクセスが良さそうな病院へ朝一で出向いて、受診。すぐオペと言われたらどうしようと思ってびくびくしていると、医師の口から出てきた言葉は「基本的には何もせずに放置して、自然に治るのを待ちましょう。それがいちばんの治療です。」(!)でした。

肩甲骨だけを骨折した場合は自然治癒だけで回復が可能で、多少向きがズレたままになっても機能には問題が無いとのこと。ズレるのは嫌だなぁと少し抵抗してみましたが、手術が身体に与えるストレスと天秤に掛けるなら、あえて手術をしない選択をするほうが得策というのが医師の見解でした。手術のストレスが半永久的に残ることは、過去の経験から知っています。だから、その判断は私にも理解できます。

肩甲骨でなく鎖骨を折った場合は、そのまま放置すると縮まった状態で固まるので、手術で位置を戻さないと回復後の姿勢への影響が大きいのだそうです。また鎖骨、腕の骨、肩甲骨(もっと腕に近い部位)を3点セットで骨折することも結構あり、その場合も速攻でオペになるようです。

安静のための入院も一応提案はされたけれど、午後の打ち合わせに出たかったので(笑)通院を選択。ついでに小指の骨折も、そのままです。生活への影響は、最初に検査をしてくれた外科医に脅されたほどでなく、まずはほっとしました。

とはいうものの、全治1ヶ月から1ヶ月半と宣告されています。全治1ヶ月というと相当な大怪我なのかと思っていたら、なんか簡単にやっちゃうんですね。^^; ともあれ、トレーニングへの影響は避けようもありません。しばらくの間は大人しくするしかなく、治ったらまた一からやり直しです。骨折した部位も、完全に元通りには戻らないに違いありません。フォームへの影響もあるでしょう。ちょっとしたミスで、痛い失敗を踏みました。ついでに、お財布にも痛いです。物理的にも痛いですけど。

当面、両手を固定された不自由が如何ともしがたく、まともに着替えもできないのには参りました。その状態で1日を過ごすうち、我慢ならずに三角巾を脱ぎ捨て(ぐえっ、痛ぇぇぇ!)、右手の自由をやや強引に奪回してこれを書くことにしました。ちょうど良い更新ネタですから(?)。ついでに左手の包帯も取り去ってみます。手のひらが自分で見ても気持ち悪いほど、どす黒く内出血しまくっていました。

普段どおりにキートップを叩いてみると、左の小指はアウトですが、腕に力を入れず指を使うだけなら右手はなんとも無いことが分かりました。ただし、ちょっとでも気を抜くとすぐに腕に力が入り、肩に痛みが走ります。キーボードからマウスに無意識に手を伸ばそうとする動作が、特にヤバい。襲ってくる痛みに、飛び上がります。また押す系よりも引く系がマズいらしく、間違ってもドアノブなど引いてはいけません。不思議なことに、背中側ではなく、前側の腕の付け根あたりにビーン!という感じの痛みが走ります。(瞬間の痛みとは別に、背中側はずっと鈍痛が続いています。)

事故後1日目は午後から出勤し、2日目の今日はのんびり休んで気分の回復に努めることにしました。相変わらず食事にも困る状態で何かをするわけでもないのですが、無性に身体を動かしたくなり、午後遅く荒川河川敷まで散歩に出かけました。

荒川の空

河川敷でジョグをするとき、私は少しだけ目を上げて、雲の様子や空の色を眺めながら走るのが好きです。想像するといかにもカッコ悪いフォームなのですが、どうせ顎も上がり気味なので、ちょうどいいというのもあります(笑)。

西の空は薄く曇って、今日も穏やかな表情です。あーあ、どうせ休むのなら、こんな怪我さえしていなければ、のんびりジョグできるのに。気持ちいいだろうなぁ!

闇夜のチェーンに飛び込むようなヘマは私だけでしょうが、走行中の転倒は意外なまでに危険であることを思い知らされました。調べてみると、なんとロードで立ちゴケ(に近い転倒)をしただけで肩甲骨を骨折された方もいらっしゃいます。ランニングされる方、それにロード乗りの皆さんも、油断は禁物です。どうかくれぐれも、お気をつけください。




孤独ではない、100kmの道

えちご・くびき野100kmマラソン

「えちご・くびき野」を走る幸せ

フィニッシュ後に大会本部でスタッフにお礼の言葉を述べたとき、「よろしかったら、どうぞ」と渡された大判の大会ポスター。普段なら荷物を増やしたくなくて断るはずなのに、それまでにさまざまな方から頂いた心遣いがよみがえり、また嬉しくなって、つい受け取ってしまいました。

ポスターに書かれた「孤独ではない」のコピー。この言葉の意味を、こんなにも身をもって感じられることが、他にどれほどあるでしょうか。

えちご・くびき野100kmマラソン

10月5日・金曜日、スタート会場のリージョンプラザ上越で、前日受付を済ませました。館内でこれから始まる前夜祭に少しだけ後ろ髪を引かれつつ、体調維持を優先して宿に戻ることにしました。帰りのシャトルバスがいないかと見渡したら、なにやらスタートゲート付近に人が集まっている様子。やがて、「ランナーの姿が見えてきました!」と、女性アナウンサーの声が。

・・・ん? 前日なのに、ランナー?

集まった人たちの視線の先を見やると、聖火ランナーのようにトーチを掲げたランナーがふたり駆け込んできます。とくに事前の案内も無く知らなかったのですが、それはスタートゲート脇のかがり火を点火するイベントでした。運営に力が入っている様子が伝わってきて、明日への期待が高まります。

会場へのアクセスは、大会前日/当日とも、直江津駅北口、サンプラザホテル、ホテルα-1、ホテル元気人と100kmスタート会場のリージョンプラザ上越を結ぶ路線、高田駅からリージョンプラザ上越を結ぶ路線、それに大会当日はリージョンプラザ上越と50kmスタート会場うみてらす名立を結ぶ路線にシャトルバスが運行され、私が利用した時間帯(前日午後と夕方、当日朝とフィニッシュ後)の直江津駅~リージョンプラザ上越は、いずれも十分な席数があって、とてもスムーズに移動することができました。

えちご・くびき野100kmマラソンのコースは、リージョンプラザ上越を出てくびき野を南下し、山沿いに東に進み、北上して海沿いを下り、最後はくびき野の "ヘソ" のような百間町へと向かう、上越市一周のワンウェイです。

えちご・くびき野100kmマラソン

中盤はずっと山の中。途中、大きな峠が4つ、その後もさらに小さな峠がひとつ待ち受けています。連れ合いに釣られた勢いでエントリしてしまった大会ですが、私にとっては初ウルトラ。もしも、こんな山道を含むと事前に気付いていたら、怖気づいてエントリしなかったかもしれません。(^^;

前日配布のガイドブックによれば、累積標高+1573m、-1567m だそうです。この数字は乗鞍天空マラソンを超えています。

えちご・くびき野100kmマラソン

実走したログをルート・ラボに取り込んだら、トラックポイントが多すぎると言われて保存できませんでした。走行ペースが遅いせいで、ログが膨らんだのでしょう。(^^; 仕方ないので、前半と後半に2分割したログを公開しました。動くログはこちらをどうぞ。

えちご・くびき野100kmマラソン 2012(前半)
http://yahoo.jp/KfECls
えちご・くびき野100kmマラソン 2012(後半)
http://yahoo.jp/JIT8vn

細かなコース取りは前回大会と異なる部分があるようです。道路の付け替えや安全面などの理由で毎回見直しているのだと思います。

4つの峠のちょうど真ん中51km付近に第1トランジットが、78.8kmに第2トランジットがあり、あらかじめ荷物を預け、着替えも出来ます。今回は天候に恵まれたので着替えの必要性を感じませんでしたが、いざとなればウェアもシューズも取り替えられるという安心感があり、ありがたい配慮です。

エイドは、給水、レストエイド、トランジットなど合わせて37箇所もあり、平均するとなんと3km以内で次のエイドが現れる計算になります。実際に走ってみても、エイドを1箇所ぐらい見逃しても心配ないと思えるほどエイドが充実していました。

大会当日、朝5時過ぎの100kmの部スタートゲートです。風も無く適度に涼しい穏やかな天候。号砲が鳴った直後に、なんと連れ合いのコンタクトレンズがずれてしまい、じっくりと直してからほぼ最後尾でスタートを切りました。それでもロスは1分30秒ぐらい。距離が距離ですし、先を急ぐ旅でもありません。

えちご・くびき野100kmマラソン

スタート直後、沿道から凄い声援の嵐を浴びました。まだ暗いのに、応援がこんなに多いとは思いもよりませんでした。大勢の「いってらっしゃーい!」の声に手を振りながら、まだ空けやらぬ街へ飛び出してゆきます。

途中までは集団がバラけず、ペースも上がりません。流れに身を任せ、キロ6分30秒ぐらい。ちょうどいい感じです。せめて峠越えの前まで、このペースを維持できれば・・・。

スタート前にはお腹が動いてくれず、5kmぐらいから徐々に動いて不安な状態になってきました。9.1km付近、最初の大きめのレストエイドに仮設トイレを見つけて入ることにします。

女性専用トイレがきっちり確保されているのは好感が持てるのですが、なんとそちらは空いているのに男子は数名が待ち状態。エイドを設営した場所の建物にもトイレがありましたが、同じ状態のようです。序盤の"大"は大人気(?)なのかもしれません。(笑)

まあ急ぐ必要はないと余裕で(?)並び、用を済ませて出てきたら・・・

えちご・くびき野100kmマラソン

あれほど混んでいたランナーたちの姿がほとんど見えず、びっくり。(笑) スタッフの方々の大きな拍手の中、最終ランナーがちょうどエイドへと向かってくるところでした。勝負は、まだまだ先! 一緒にがんばりましょう!

とはいうものの、さすがに焦ってペースを少し上げたら、1kmラップが5分50秒を切っていました。これだと後が持たないと判断してペースを落としますが、そのうちなんとか集団の最後尾を捉えます。

見渡すかぎりの青々とした水田を突っ切り、集落と集落との間を縫うように三和区から清里区、板倉区へと進んでゆきます。途中で複雑に曲がる交差点がいくつもありますが、誘導が確実でスムーズなので迷いようもありません。

えちご・くびき野100kmマラソン

ちょっとした集落があれば「ようこそ△△の里、○○区へ!」と横断幕が掲げられたり、「それなりに走れ!○○区」という看板が現れたり、玄関先では家族総出で手を振りながら「がんばって!」と声援してくれたり、笑みがこぼれる場面の連続。そしてこんな歓迎が、この先ずっと続くのです。

給水エイドには水、麦茶、スポーツドリンク、コーラ、レストエイドにはさらにバナナ、オレンジ、レモン、塩、おにぎり、梅干、団子、チョコなどが豊富に用意され、これなら何も持たずに走ったって不安は無いでしょう。エイドによっては区特産の餅や蕎麦、きのこ汁などの汁物各種も用意され、ランナーへの売り込み合戦さえ繰り広げられます。(笑)

えちご・くびき野100kmマラソン

蕎麦は何箇所かで供されていました。私はわりと最初のほうで頂きましたが、なんでこんなに美味しいんですか! 思わず、おかわりを頂いてしまいました。当たり前かもしれないけれど、いつも食べている東京の駅そばとは、到底比べ物にもなりません。同じ名前だが、あれは全く別の食い物に違いない。

走路上の誘導に立つボランティアの方々、それに沿道の人たちが、皆さん気持ちよく笑顔で声を掛けてくれて、どんどん気分が盛り上がってきました。こちらも「おはようございます!」と笑顔で返します。

そうこうするうち気が付けば30kmを通過し、牧区に入って道は次第に上り坂になってゆきます。街中40.5kmのレストエイドまでは何とか走りを維持したものの、山中へ分け入ってからの激坂は、予定通り(割り切って)歩きで乗り切ることにします。

えちご・くびき野100kmマラソン

斜度が10%とか、もしかしたら15%を超える区間も多いのではないでしょうか。周りの多くのランナーも、歩き混じりのようです。少しでも速く歩こうと頑張りますが、なかなか手強い急坂。そこを全く歩かずに走って登り切る凄い視覚障がいランナーに、あっさり抜かれてしまいました。そのランナーと平然と話などしながら駆け上がる伴走ランナーも、また凄いですね。

同じ視覚障がい選手を下りで追い抜き、上りでまた抜き返されるパターンを、その後何度も繰り返します。(笑)

えちご・くびき野100kmマラソン

やっとたどり着いた、第1トランジットのB&G海洋センター。ここまでで、およそ半分です。当然、辛いことは辛いのですが、考えてみれば私にとってすでに未知の領域に突入しています。ここまで無事にたどり着いただけでもラッキー。それでも足が売り切れた感じはしないので、飛ばし過ぎずに自重すればまだいけるかもしれません。

ただ長い下りをそれなりに飛ばしたせいか、肩がバリバリ、持病気味の腰にもかなり負担が来ていました。着地のたびに左足だけ足裏に痛みが走るので、アーチがヘタっている疑いも濃厚です。

えちご・くびき野100kmマラソン

長い待ち時間を承知で、思い切ってマッサージをお願いする決意をしました。救護テントの下で、3名の有資格者の方がボランティアで施術に当たっておられます。肩も少しほぐしていただき、左足裏にはテーピングをしてもらいました。マッサージはここだけでなく、大きなレストエイドの数箇所に設置されていました。

十分に休んだら、出発します。すぐに、また大きな峠がやってきます。

えちご・くびき野100kmマラソン

棚田をいくつも通り過ぎ、遠方には美しい峰々を望みつつ・・・ぜぃぜぃ、はぁはぁしながら、峠を越えてゆきます。次のエイドが、待ち遠しい!

峠では、続けざまにひょうきんな案山子が現れたり、「がんばっても、どうせ明日は筋肉痛」と書かれた看板が現れたり。苦しみながら、笑いながら、自分でもわけわからなくなりつつ進みます。

安塚区、大島区と山道を辿り、ようやく4つ目の峠を越えると、そこは浦川原区。そのうち、ほくほく線の虫川大杉駅が出てくるはずです。川沿いに下り、トイレ休憩を挟みつつ(相変わらず男子トイレが混んでいます)足の重さと闘いながらも、ひたすら重力に頼りきって何とか脚を廻してゆきます。

ほくほく線の高架下に出ると、エイドに続いて中学生の大声援とハイタッチに元気をもらって復活しました。どうして自分がこんなに応援してもらえるのか不思議に思うほど、もの凄い応援ぶりです。

浦川原駅付近を通過してから最後の峠に掛かります。この峠は短いながら壁のようでした。溜まった疲れに追い討ちを掛けぬよう、ここも歩いてしのぎます。(後から地図を確認したら、実にたいしたことのない距離と高さで、がっかりしました。(笑) )

75kmあたりで道が平坦になると、そろそろ吉川区の第2トランジット。アナウンサーにゼッケン番号を読み上げられ、荷物を持って待ち受ける中学生に声を掛けてもらいつつ、トランジットに駆け込みました。あまり休むと再スタートが困難になりそうで、さくっと給水してアイシングスプレーもそこそこに、次の区間へと挑むことにしました。

そこから80km、85kmと海岸へ向かうまっすぐな道が続きます。風景がちょっと退屈ですが、次々に現れるエイドに助けられて気分を維持します。足取りは限りなく重いけれど、自分でも不思議なことに6分15秒前後のペースを刻めているようです。

途中、ちょうどエイドを出ようとしていた連れ合いの友人を見つけて声を掛け、しばらく進むと、先行していた連れ合いの後ろ姿をついに捕らえました。しかしどうも足取りがおかしく、調子を落としている感じの走りです。掴まえると案の定、以前に故障した膝裏が痛いとのこと。これはマズい。危険です。ここからは(もしそうなったら悔しいけれど)もしもの場合のリタイアも視野に入れ、サポートしながら伴走することにしました。

意識的にペースを落として、85.4km地点、柿崎区のレストエイドに設けられた第3関門をふたりで通過。海沿いの旧道に出ます。相変わらずの温かい声援を受けながら、旧く静かな佇まいの家々が並ぶ街を通り抜け、美しい日本海に出ました。凪いだ水面が、うっとりするほど綺麗です。

えちご・くびき野100kmマラソン

このあたりで日が暮れ始めますが、走路には工事用に使われる明るい照明灯が設置され、不安なく走れるように工夫されています。

再び街中に入ると歩道が狭く、並んで走るのは人迷惑な感じになってきました。また細かなアップダウンの繰り返しが意外と多く、ペースが安定しません。連れ合いの膝はまだ何とか持っているようですが上り下りでは負担が大きいので、坂道では大事を取って敢えて歩くことにします。すでに走る時間よりも歩く時間のほうが長いですが、制限時間に何とか間に合いそうなペースを計算しながら、なるだけ慎重に歩を進めます。

途中、私のわがままで商店に立ち寄り、アイスバーを買い求めました。お店の方は奥におられて答えが無かったのですが、道の反対側で応援されていた近所の方が気付いて呼んで下さり、無事に購入。「どちらから来られたのですか?」「ここまで走り通されて、さぞ大変だったでしょう!」「レース中、うちの商店にお立ち寄りいただいて本当にありがとうございました!」と笑顔で丁寧に応対され、その温かさにまた感激です。

92.5km、最後のレストエイドでは、つみれ入りの有名な"海賊汁"が待っていました。

えちご・くびき野100kmマラソン

溜まった疲れのせいか旺盛な食欲はふたりとも無く、一杯の海賊汁を分け合えば十分です。しかし噂に違わず、美味しかった! 心と身体に、しみ入るようです。

えちご・くびき野100kmマラソン

このエイドは最後の関門でもあり、制限時間は18:00時に設定されています。私たちはここを、17時5分ぐらいに出発しました。もう、かなり歩いても大丈夫なはずです。無理せずに歩き、走ります。

エイド出口では、リフレクター付きのたすきを渡されました。もちろん要所要所には誘導赤色灯を持つスタッフが配置され、身の危険を感じるような場面は全く経験しませんでしたが、行き届いた安全対策の一端をここでも感じることができました。

最後の数キロはその大半を歩き、百間町に入ってフィニッシュ地点の歓声が近づいてきたあたりで、最後のランを始めます。

そこまでは冷静にペースを計算していたせいか、あるいは連れ合いの脚のコンディションばかり気にしていたせいか、自分が何を走っているのかさえ、すっかり忘れていました。ところが、沿道で応援に立つおねえさんから「完走、おめでとうございます!」と声が掛かった瞬間、100kmの完走を突然、実感したのでした。待ちわびたゴールはすぐそこのはず。唐突に、じわじわと感動がこみ上げてきます。

赤色灯のスタッフに誘導されて角を曲がると、もうそこはフィニッシュゲート目前、レッドカーペットの上でした。ふたりでグリコポーズを取り(笑)、ゆっくりと走りながらフィニッシュゲートをくぐりました。

ゲートの向こう、チップセンサーの先にはゴールしたランナーひとりひとりに中学生が待ち構えていて、「おめでとうございます!」と完走メダルを掛けてくれます。それと同時に、毛布を手渡してくれたり、計測チップを靴から外してくれたり、「お荷物を取ってきましょうか?」と尋ねてくれたり、もう至れり尽くせりです。あれれ?私はVIPだったのかなと、勘違い。(笑)

大きなテント下には、ランナーのためにテーブルと椅子が用意され、物売りの屋台が無い代わりにスポーツドリンク、麦茶、スープ、うどん、果物、チョコなどが振舞われ、テーブルの間をくまなく廻る中学生たちが、ウェイター、ウェイトレスさながらに、チョコや果物を配ったり荷物を席まで運んだりしています。どの子も自分の役割を果たすことに専念していて、大勢いるランナーたちのために親身に対応してくれています。彼らの姿は実に献身的で、感動的でした。もちろん大人のスタッフも、誰に何を尋ねても親切に的確な対応をしてくださる方ばかりで、そのサービスの質の高さには驚嘆するほかありません。

えちご・くびき野100kmマラソン

RUNNETの大会レポにどなたかが、「意味のわからないお金をかけるでもなく、タレントを呼ぶでもなく、運営とボランティアと、市民の皆様のおかげでこんな素晴らしい大会ができる」と書かれています。まさにそのとおりだと、私も思います。

ただでさえ時間と距離の長い大会ですから、掛かる手間も半端ではないでしょう。また、たとえ善意で協力するにしても、全員が同じ方向を向くのは普通は難しいものだと思います。ここまで来るには、いろいろな経緯や問題があったに違いありません。しかし、そんなことを微塵も感じさせない見事な大会運営で、さまざまな工夫が信じられないほどうまく機能しています。地元の皆さんに感謝しつつ、大会運営もあまり無理せずに楽しめる範囲でお願いします、と申し上げたい気持ちです。

スタッフの努力もさることながら、沿道の人たちがことごとく、しかもこれほど長い時間にわたって応援してくれるのは本当に凄いことです。誘導係のスタッフに止められて迷惑そうな表情を見せるドライバーは、ついぞ見かけませんでした。それどころか、スピードを落としてすれ違うクルマの中から「がんばってくださ~い!」と声援を受けることもしばしば。生活テンポが違うと言われればそれまでですが、信号の無い横断歩道で待つ人の目の前をどのクルマもスピードを落とすことなく通り過ぎるのが当たり前な東京では、ちょっと考えにくい光景じゃないでしょうか。

この記事を書きながら、100kmの道を自分が誰に走らせてもらったのか、改めて知った気がします。すっかりダメージを受けた連れ合いの膝は気になるものの、それはまた別の問題。私は怖気づいてパスしなくて良かったと思います。ひとりのランナーとして望外の、素晴らしい体験でした。



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。